どこでくらすも

50代突入。不幸な世代No1。全く更新されないブログはこちらです。

田舎者が都会に出たけど親の介護で舞い戻る

父の具合が悪くなり介護が必要になってから、実家に帰る労力・時間はこの先

何回繰り返す事になるのか、先の見えない介護帰省は私の身体を疲弊させました。

そして帰省にかかる費用も馬鹿になりません。

 

新幹線が高い!

私が利用していた区間はJRの独占区間で飛行機は飛んでいません。

新幹線 在来線を使ってドアtoドアで3時間弱。

他の交通機関が運航してない(競合がない)ので結構強気なプライスです。

指定席でも水一杯提供されないし、飛行機には設定がある介護割引が新幹線には

ありません。

 

何にも考えてなかった親の将来

もっとも、

10代の頃、親の介護なんかを想像して進学していなかった。

20代は大学卒業と同時に就職し、実家には帰らなかった。

30代に入っても親はなんとか健康で介護の話題にもならなかった。

40代に突入した頃、流石に持病などで通院というのを聞いていたけど

 

まさかの!

40半ばで 「実家に帰らせていただきます」に。

 

一般的に仕事は辞めるな、遠距離でもリモート介護せよとは言われているものの

1人っ子で老親二人の遠距離介護には金銭面、精神面、体力面、働きながらの介護は

ハード過ぎて私には無理でした。

そして何より具合の悪い親を放ってまた帰らなければならないという、

なんとも言えない寂しく悲しい気持ち。

 

結局、親に引き寄せられて現在に至る、、です。

 

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       冬に咲く薔薇           2017年11月

       気分が下がっていた時に公園で撮影

家にいるより通ってよかったデイサービス

父はデイサービスを始めた頃は盛大に嫌がっていた。

年寄りの集団に入って集団で何かをする。とにかく、悪いイメージを持っていた。

自分はまだボケてはいないし、家でパソコンを触っていたい・・・という思い。

dokodekurasumo.com

でも父がデイサービスに行く事は母の息抜きや父の介護負担を軽くする意味もある。

そんなこんなでなんとか送り出す日が続いていたが、次第に慣れた様子だった。

 

介護事業所では個別に分かれてプログラムが実施されていて

中でも楽しみにしていたのが

 

囲碁

陶芸

 

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      作品A  お父さん、今は私が使ってるよ~

プログラムだけではなく、一人では難しくなった入浴や、食事やおやつも

考えられている。

私が実家に帰った時、父の様子をのぞきに行った時は皆で演歌を聞いていたり、

数人のグループでお茶を飲んでいたり、リラックスしている様子だった。

 

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       作品B C     母にガラクタ認定され捨てられていた茶碗

家にいて母の愚痴を聞かされるよりデイサービスでプログラムを黙々とこなす方が

今思えば父の性に合っていたのかもしれない。

認知症の母88歳。 米寿を迎えました 

去年の11月は胆嚢炎で入院していた母ですが

自宅で元気に88歳を迎えることができました。

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市役所から町内会から親戚から

米寿をお祝いしていただいて本当に有難い限りです。

 

認知症ではあるものの、まだまだ足腰丈夫で、食欲旺盛。

 

ただ気になるのは

一日中パンダのように座ってテレビをつけて寝ているという・・

外部刺激の少ない母。

最近は外出をめんどくさがります。

 

来月、介護認定の更新月なので、この訪問調査をきっかけにデイサービスに通って

ほしいなぁと・・・・

地域包括センターの方と話を仕向けるように画策しています。

 

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万歳88!   2021/9/21